4. 世界宗教の歴史 (1):仏教の成立と展開
資料確定:2025-10-21 06:35
授業内容
目次
4.1. 仏教の世界分布
4.2. ブッダの思想と初期仏教
4.3. 大乗仏教:新しい運動
4.4. 南伝仏教
4.4.1. 南伝仏教とは
4.4.2. スリランカ
4.4.3. 東南アジアの仏教
ミャンマー(ビルマ)
タイ
カンボジア
ラオス
4.5. 北伝仏教
4.5.1. 北伝仏教とは
4.5.2. 中国
時代区分と注目するできごと
中国仏教の基本的性格
中国独自の仏教の展開
特徴ある信仰の例:観音
祖先祭祀をふまえた中国仏教の展開
4.5.3. チベット
4.1. 仏教の世界分布(宗教人口 世界第5位:世界人口の7.1%):参考:宗教学Ⅰ
仏教の世界分布図(エリアごと)
http://assets.pewresearch.org/wp-content/uploads/sites/11/2012/12/12_budd-mag.png
地域別の仏教徒の人口
https://assets.pewresearch.org/wp-content/uploads/sites/11/2012/12/budd-pop.png
(地域/仏教人口/地域の全人口/全人口に占める仏教徒の割合)
仏教徒の多い国ベスト10
https://assets.pewresearch.org/wp-content/uploads/sites/11/2012/12/budd-10.png
(国名/その国の仏教人口/その国の人口に占める仏教徒数の率/世界の仏教徒数に占めるその国の仏教徒数の率)
4.2. ブッダの思想と初期仏教
馬場紀寿『初期仏教』岩波新書、2018年
『岩波仏教辞典』第2版、2002年 を参照。
ブッダの思想(前期「宗教学Ⅰ」での解説を再録)
中道・四諦
中道:
「相互に矛盾対立する二つの極端な立場(二辺)のどれからも離れた自由な立場、〈中〉の実践のこと。〈中〉は二つのものの中間ではなく、二つのものから離れ、矛盾対立を超えることを意味し、〈道〉は実践・方法を指す。」(『岩波仏教辞典 第二版』)
ブッダにおける〈不苦不楽の中道〉(苦行主義と快楽主義のどちらにも偏らない)に端を発し、のちに意味することが発展していく。
四諦:4つの真理
苦諦:迷いの生存は苦である。四苦八苦として示される。
集諦:苦が生起する原因は、渇愛にある。
滅諦:苦の止滅についての真理。渇愛が完全に捨て去られた状態。
道諦:苦の止滅に到る道筋についての真理。具体的には八正道として示される。
涅槃
「古くは煩悩の火が吹き消された状態の安らぎ、悟りの境地をいう。」(『岩波仏教辞典 第二版』)
「三毒」(基本的な煩悩である、貪欲[むさぼり]・瞋恚[いかり]・愚癡[おろかさ])を死滅した状態(同上)
八苦
四苦:生、老、病、死
怨憎会苦
愛別離苦
求不得苦
五取蘊苦:
「五蘊」は人間を構成する5つの要素、のちに、そこから展開して現実を構成する5つの要素を意味する。
五取蘊苦は、五蘊すなわち、迷いの世界として成立する一切は苦である、ということ。
八正道
正見:正しい見解
正思惟:正しい思惟
正語:正しい言葉
正業:正しい行い
正命:正しい生活
正精進:正しい努力
正念:正しい思念
正定:正しい精神統一
縁起:
生存の苦悩はいかにして生起し、また消滅するのかを示す、諸法[すべての存在要素、またあらゆる存在・事物]の因果関係。
ブッダガヤの大菩提寺(世界遺産):ブッダガヤはブッダが悟りを開いた場所
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4e/Mahabodhitemple.jpg/1024px-Mahabodhitemple.jpg
クシナガラの涅槃仏
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/04/Mahaparinirvana.jpg/2560px-Mahaparinirvana.jpg
初期仏教:紀元前の仏教
初期仏教の様子はどのようにしたらわかるか。
(参考書)シリーズ仏典のエッセンス(NHK出版)
上座仏教 「根本分裂」(仏滅後100年頃):上座部/大衆部 教団規則の緩和をめぐる対立。
上座:僧伽の中で尊敬を受ける比丘のこと。
上座部:当時の仏教教団のうち保守的な上層部。
大衆部:教団規則の解釈などについて進歩的。
(さらに知りたい人のために)
結集(けつじゅう):
ブッダの滅後、その教えは記憶暗唱を頼りとして受け継がれた。
結集:比丘たちが集まってブッダの教えを誦出し、互いの記憶を確認しながら、合議の上で聖典を編集する。
結集伝承(南方伝承/北方伝承)
第1回(B.C.485/B.C.383)
第2回(仏滅後100年頃)…(南方伝承によれば、根本分裂)
この頃に、戒律に関する10の新しい意見をめぐって仏教教団内に対立が起こり、上座長老たちがこの新見解を否定した(南方・北方の共通理解)(「部派仏教」同辞典)。
第3回(仏滅後236年)アショーカ王(治世前268-232)による
(アショーカ王の治世…北方伝承によれば、根本分裂)
南方伝承と北方伝承は一致していない。
(紀元前3世紀、スリランカに仏教伝来。)
第4回(紀元後2世紀頃)
南方伝承と北方伝承は一致していない。
紀元前後の変容
仏典の書写:それまでは口承だった
三宝の変容
ブッダ(仏)
紀元前には菩提樹や仏塔がブッダの象徴だった。
紀元後1世紀になると、仏像が制作されるようになる。
出家教団(僧)
従来、出家教団の運営方法は、基本的に遊行生活を送っていることを前提として定められていた。
紀元前1世紀以降、莫大な利益を得た商人集団の台頭を背景として、出家教団には定期収入が生じるようになり、個々の教団は何らかの形で恒常的経営が行われる組織へと変貌した。
教え(法)
仏典はもともと口頭伝承だった。
教団は、〈ブッダは、自ら没した後は「法と律」を師とするように命じ、解脱した出家者たちが「法と律」をまとめ、仏典として伝承してきた〉と主張してきた。
「法」は教え、「律」は出家者の規則。
紀元1世紀になると、仏典の書写が開始された。
4.3. 大乗仏教:新しい運動
(『岩波仏教辞典』第2版)
紀元前後からインドに広がった、仏教の新たな理念形成、変革の運動。
菩薩意識
仏教の修行者3種
声聞(しょうもん):「仏の声を聞く者」
独覚(どっかく(縁覚〈えんがく〉):師なくして独自にさとりを開いた者
菩薩:さとりを求める人/さとりをそなえた人
初期仏教では、現世において修行道を完成し終え、阿羅漢[初期仏教において修行者の到達しうる最高位。≒声聞]になることを目指した。
これに対して、大乗仏教の担い手たちは、阿羅漢到達の目的を捨て、現世での救済に拘泥せず、あくまで無上菩提に至ってブッダとなることを目指す菩薩として自らを位置づけた。
大乗仏教における菩薩:自己一人のさとりを求めて修行するのではなく、さとりの真理を携えて現実の中におり立ち、世のため人のために実践(慈悲利他行)し、すすんではさとりの真理によって現実社会の浄土化に努める者。
菩薩行:(「菩薩」同辞典)
誓願、授記、不退、一生補処(あと一生だけ迷いの世界に縛られること)、六波羅蜜、など。
大乗仏教は、菩薩行の可能性をすべての人に解放した。
大乗仏教では、最高の悟りを求める心(菩提心)をおこして、自らの修行の完成(自利)と一切衆生の救済(利他)のために六波羅蜜を行って成仏を目指す人は全て菩薩である。
無上菩提
菩提:さとりの知恵。
六波羅蜜:菩薩に課せられた6種の実践徳目。
布施波羅蜜:財施、真理を教えること、恐怖を除き安心を与えることの三種。
持戒波羅蜜:戒律を守ること
忍辱波羅蜜:苦難に堪え忍ぶこと
精進波羅蜜:たゆまず仏道を実践すること
禅定波羅蜜:瞑想により精神を統一すること
智慧波羅蜜:真理をみきわめ、悟りを完成させる智慧
空思想
空 (「空」『岩波仏教辞典』第2版)
固定的実体のないこと、実体性を欠いていること。
最初期の大乗経典である般若経では、悟りや涅槃を含むあらゆるものごとに対する無執着のあり方のこと。
誓願思想 (「誓願」『岩波仏教辞典』第2版)
誓願:仏・菩薩が必ず成し遂げようと誓う願い。
自己の全心身をかけた願いで、自己および一切衆生の成仏をめざす。
仏塔・仏像崇拝への否定的態度
初期の大乗仏教は、形式化した仏塔・仏像崇拝に代わって、経巻の受持を勧めた。
仏国土(浄土)観:
仏国土:菩薩の誓願と修行によって建てられた仏の国、ブッダが住む世界。
現在十方仏の存在
十方:東・西・南・北の四方、東南・西南・東北・西北の四維、上・下の計10の方角。
十方世界:十方それぞれにある衆生の住む世界。
十方浄土:十方世界には、それぞれ諸仏(十方仏)の浄土がある。
利他意識(「利他」『岩波仏教辞典』第2版)
利他:他の人々を利益し[他の人々の福利をはかり]、救済につとめること。
菩薩は自利と利他の行に励むが、両者が完成するのは仏のみ。
三昧の強調
三昧:心を静めて一つの対象に集中し心を散らさず乱さぬ状態、あるいはその状態にいたる修練。
大乗仏教では、さまざまな種類に分けて三昧を説いた。
瞑想経験を通じて、直接ブッダにまみえることが可能だと考えた。
禁欲の推奨など
4.4. 南伝仏教
4.4.1. 南伝仏教とは
(「南伝仏教」『岩波仏教辞典』第2版)
上座仏教〔上座…「長老の教え」の意〕、小乗仏教〔小乗/ 大乗…「小乗」は大乗からの蔑称〕、南伝仏教
始まり:紀元前3世紀中頃にインドからスリランカに上座部系の一部派が伝わった。
スリランカから、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオスなどに伝わった。
特徴
礼拝する仏像は釈迦像のみ。
釈尊の遺骨などを祭る仏塔崇拝もさかんである。
フルセットの大蔵経を完備している。
出家専門家と在家信者が明確に区別されている。
出家は、厳しい戒律を守り、僧院で集団生活を送っている。
在家信者
出家の宗教的指導を受けつつ、僧院を経済的に支える。
在家者としての戒と教えを守っているが、出家者のように厳しい専門的修行はできない。
4.4.2. スリランカ
紀元前3世紀、スリランカに仏教伝来。
5世紀に、スリランカで上座仏教教学が確立された。
410年頃、スリランカ仏教、隆盛期を迎える。
11世紀頃、スリランカで僧院文化の絶頂期。
パラークラマバーフ1世(位1153〜86)
スリランカシンハラ王国の中興の英雄といわれる王。
サンガの清浄と統一→マハーヴィハーラ派が主導権。
4.4.3. 東南アジアの仏教
二つの大きな流れ(『岩波仏教辞典』第2版)
大乗仏教の伝播と衰微
南方上座部仏教の広がりと国家的維持発展
https://aseanpedia.asean.or.jp/wp-content/images/what/main_bg2.gif
東南アジアの大乗仏教
6世紀、扶南(現在のベトナムあたり)の最盛期。仏教も隆盛期。
7世紀、島嶼部のシュリーヴィジャヤ王国で密教系仏教が隆盛。
ジャワ島ではシャイレーンドラ朝(750-832)で密教が信奉された。
カンボジアのアンコール朝(802-1431?):12世紀から13世紀はじめにかけて最盛期。ヒンドゥー教と仏教がさかん。観音信仰など。
ベトナムでは、中国由来の禅や浄土系の大乗仏教が独自の発展を遂げた。
東南アジアの上座仏教
特徴:教団が王権と結びついて維持発展してきた。
ミャンマー(ビルマ)
11世紀、パガン朝
ビルマ初の統一王朝を築いた。
新しい建国理念として、それまであった密教系の仏教を排し、スリランカから上座部仏教を移入した。
パゴダ(仏塔)が重要な位置を占めている。
15世紀、国王の主導でサンガ統一。
18世紀、国王の主導で宗教会議。
(参考)森祖道「上座部仏教教団の相互支援と交流」『新アジア仏教史04 スリランカ・東南アジア 静と動の仏教』佼成出版社、2011年
さて、ミャンマーの歴史が仏教史も含めて明瞭となる、つまり有史時代に入るのは、11世紀のアノーラータ王(Anawrata, Anoaratha, Anuruddha, 在位1044〜77)の時代からである。かれは上ミャンマー、イラワジ河畔のパガン(Pagan)に都してパガン朝(1044〜1287)を興したビルマ族の英主であった。当時、かれの周辺に流行していた、戒律を守らず教義の乱れた密教的俗信的色彩の濃いアイージー(アリー)僧の仏教をアノーラータ王は否定して、より本来的な上座部仏教を採用せんとした。それに政治的意図も加わって、1057年に下ミャンマーのモン族の都、タトンを攻略して、彼の地に繁栄していた上座部のサンガをかれらのパーリ経典などとともにパガンに移した(一説には500人の比丘という)。そしてこの上座部を公認し外護したので、それ以後、ミャンマーの仏教は基本的に上座部一色となった。
https://youtu.be/SJwO7V_Y6LQ
タイ
1100年頃、タイの上座部仏教が栄える。
13世紀、スコータイ朝成立。
ビルマから独立したタイ人自身の国家が誕生。
新しい国家の理念として、上座部仏教を採用した(スリランカから)。
(参考)村上忠良「タイの仏教世界」(抜粋)『新アジア仏教史04』
13世紀にチャオプラヤー川流域に成立したタイ系民族の諸王国の宗教は、従来の精霊信仰に加え、クメール系のヒンドゥー教と仏教、モン系の仏教、上ビルマ・パガンの仏教、下ビルマ経由のスリランカ系の上座仏教など先住民族・隣接民族の宗教伝統から強く影響を受けて、複合的な性格をもっていたと考えられている(石井米雄「東南アジア仏教の民衆化―スコータイにおける仏教の受容をめぐって」木村尚三郎他編『中世の宗教と学問』学生社、1993年)。
13世紀末あるいは14世紀初頭よりタイ系民族の初期王国は、スリランカの上座仏教の保守派で、12世紀に国王主導の宗教改革でスリランカ上座仏教の正統派とされた大寺派(マハーヴィハーラ派)の仏教を受け入れる。
14世紀、アユタヤ朝成立。
上座仏教を国家理念の中心にすえた。
歴代国王の庇護のもとで上座仏教が栄えた。
1750年には、アユタヤ朝からスリランカへ仏教サンガ再興のために使節が派遣された。
18世紀末、国王の主導で仏典結集。
19世紀中期、国王の主導で教団改革運動。
カンボジア
13世紀
タイ人勢力に押され、アンコール朝は衰退していく。
それに呼応して上座部仏教がしだいに浸透し、13世紀末までに上座部仏教化。
16世紀
プノンペンには巨大な金色の仏塔がそびえていたといわれている。
ラオス
14世紀、ラオ人によりランサン王国が建てられた。
14世紀中期、カンボジア経由で上座仏教が迎え入れられた。
18世紀に3国に分裂した。
のちには、タイの支配を受けた。
19世紀末にフランスの植民地となった。
第二次世界大戦後独立。
https://youtu.be/CRdrTOaMP3w
4.5. 北伝仏教
4.5.1. 北伝仏教とは
(『岩波仏教辞典』第2版)
北インドからガンダーラを経て、中央アジア、中国に伝わり、中国からさらに朝鮮、日本、ベトナム、台湾などに伝播した仏教。
実際には、セイロン(スリランカ)、ジャワなどを経て、海路で中国に伝わった場合も少なくない。
マウリヤ王朝(インド)(紀元前317頃〜前180頃)のガンダーラ統治:仏教を政治理念の中核に据えた、最初の王。
アショーカ王(在位前268〜前232):仏教に帰依。仏典結集など。
クシャーナ王朝期(1〜3世紀)
この王朝が中国と直接境を接するようになってから急速に中国への流入が進んだ。
体系化と歴史的展開
龍樹[コトバンク]:大乗仏教の思想を体系的に集大成した。 5~7世紀
如来蔵思想と唯識説を総合した「楞伽経」や「大乗起信論」
他方では龍樹の学統をつぐ中観派がさかえた。
8世紀以後、より民衆的・実際的仏教としての真言密教が発生した。
13世紀のイスラム教徒侵入などとともに、インドでは仏教が衰退した。
大乗仏教はチベットのラマ教(→ チベット仏教)、また中国や日本の大乗仏教諸派として、変容を重ねながら発展した。
なお、チベット、中国、朝鮮、日本などの北東アジアにつたえられた大乗仏教を北方仏教、北伝仏教ともよぶ。
4.5.2. 中国
時代区分と注目するできごと(『岩波仏教辞典』第2版)
1. 誕生・伝訳の時代:前漢―西晋(265-316)
1世紀頃、中国に仏教が伝来。当初はおおむね渡来人たちの宗教(蜂谷邦夫「仏教と道教・儒教の対立」『ブッダ』3)。
仏典の漢訳:2世紀のなかばから始まり、およそ8世紀ごろまで続く。
翻訳と選択
浄土教経典も、2世紀後半から中国に伝えられる。
2. 研究・建設の時代:東晋(317-420)—南北朝(5世紀中頃-589)
4世紀、東晋の時代から仏教が広く中国人にも理解され始める。
漢民族の国家である西晋の滅亡により、社会・個人の命運を解き明かす深遠な理論として。
「三世因果説」(根底には霊魂不滅の思想)、「空の思想」が中心。 格義仏教(西晋末—東晋)
「格義」(『岩波仏教辞典』):中国における仏教需要の初期段階に行われた教理解釈法。仏教伝来以前に、すでに独自の古典文化を完成させていた中国では、インド仏教の原典に即して直接その教理を理解するのではなく、漢訳仏典に全面的に依拠しつつ、思想類型の全く異なる中国古典との類比において仏教教理を理解しようとした。このような方法を特に〈格義〉といい、それに基づく仏教を〈格義仏教〉という。(後略)
「孝」を重んじる儒教との対立
儒教からすれば、仏教における出家=親不孝
仏教側は、例えば「身内一人出家すると、家族・宗族にいいことがある」と説くなど、さまざまな説で中国社会との融合を図る。
鳩摩羅什(クマラジーヴァ)[コトバンク]350-409頃:中国南北時代初期の訳経僧 彼の活動によって、東アジア仏教の基本的な性格・方向が決まった。
三論(般若経の空の思想を論じた、龍樹の『中論』『十二門論』及び提婆の『百論』)を翻訳。
浄土教:「浄土教」『岩波仏教辞典』第2版
阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。
経緯
5世紀初め、慧遠が念仏結社である白蓮社を作り、のちに中国浄土教の祖とされた。
曇鸞(北魏)(476-542)が著述を行う。
つぎの時代の道綽(562-645)や善導(613-681)にかけて、称名念仏を中心とする浄土教が確立された。
3. 成熟・繁栄の時代:隋(581-618)—唐(618-907)
三論宗(隋代に成立):三論の教義にもとづく学派。般若経の空の思想に関する論が中心にある。
華厳宗(初唐代に成立):華厳経を最高・究極の経典とする。教主である毘盧遮那仏は、宇宙に遍満する光の仏として描かれている。
法相宗(唐代に成立):唯識の立場から諸法のあり方(=法相)を究明する。
唯識:あらゆる存在はただ〈識〉、すなわち〈心〉にすぎないとする見解(「唯識」『岩波仏教辞典』第2版)。
4. 継承・浸透の時代:五代—明
禅宗(唐—宋に成立)
禅
禅・禅定:インド古来の伝統的修行方法であるヨーガが仏教に取り入れられたもの。
仏教でも、その始まり以来、きわめて重要な位置づけを与えられている。
坐禅:禅定はもともと精神の状態を意味する言葉で身体の姿勢を規定するものではなかったが、最も安定した姿勢である結跏趺坐が修行に適しており、この姿勢が用いられることがほとんどだった。そこから「禅」(精神状態)と「坐」(身体の姿勢)が結びつけられて「坐禅」という言葉が用いられるようになった。
中国では禅宗の成立によって、インドとは全く異なる、新たな禅概念が形成された。
インド以来、禅定は精神統一という一つの修行方法を指すに過ぎなかったが、禅宗では、それに先立つ生活規範や、それによって得られる悟りも、それと一体のものと考えられるようになった。
このため、禅宗では「禅定」という言葉がほとんど用いられなくなり、単に「禅」と呼ばれるようになった。
この変化は、人々の関心の中心が、禅定の持つ神秘主義や超能力から、悟りをいかに現実に生かしてゆくかという点に向けられるようになったことも意味している。
禅は、やがて中国仏教の主流となった。
5. 融没・世俗化の時代:清—現代
中国仏教の基本的性格:「中国仏教は〈道〉の仏教である」(『岩波仏教辞典』)
初期の中国仏教は「自ら道家、儒家、ないし道教と類縁関係にある〈道〉の宗教であることを積極的に表明し、そこに生きる活路を見出そうとした…
仏教が中国社会に定着するにしたがって、「究極的には儒・道の二教(あるいはそのいずれか)と仏教は一致するという考え方を前提として、もっとも優れた〈道〉の宗教としての〈仏道〉の本格的な宣揚が開始される」
中国の〈仏道の〉…〈現実即真実〉の思想…「道は決して遠くにあるのではない。どこででも真理は体得される。聖人は遠く隔たった存在ではない。道が体得されれば聖人にほかならない」(僧肇〈そうじょう〉)
中国独自の仏教の展開
仏教学における儒教経典解釈学の全面的な導入
偽経(中国撰述経典)の出現:後世の研究者にとっては、難解な仏教教理に縁のない庶民が仏教に何を期待したかを具体的に研究する重要な手がかり
禅宗における清規(独自の教団規範)の成立と語録(祖師の言行録)の尊重、など。
特徴ある信仰の例:観音—救済・現世利益のシンボル
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大石石刻・千手観音菩薩(トラベルJPへのリンク)
(鎌田茂雄「観音はなぜ生まれたか」『ブッダ』3)
観音=観世音菩薩は慈悲の象徴。
「正法明如来」という高位の仏が、一切衆生の苦しみを救おうとして、他人を救おうとしながら修行を続ける「菩薩」にあえてランクを下げたもの。
観音の現世利益・功徳:『妙法蓮華経(法華経)』「普門品」(通称『観音経』)(鎌田『観音のきた道』参照)
1. 観音は七難を救済する。
七難:
火難…大火
水難…洪水
羅刹難…人肉を食う悪鬼に会う
刀杖難…刀などで人に害せられる
鬼難…欲が次々と芽生えることで起きる困難
枷鎖難…自由を拘束される刑罰に遭う
怨賊難…自分を害そうとする敵に遭う
2. 観音は三毒を消滅させて、煩悩をのぞく智恵をえることができる。
三毒
貪〈とん〉[むさぼり]
瞋〈じん〉[いかり]
痴〈ち〉[おろかさ]
3. 観音を礼拝供養する(身体をもって観音に帰依する)ことによって、二求(衆生の二つの欲求。普通は安楽と長命だが、ここでは男子と女子の両方の子宝を得ること)が満足される。
4. 観音の名号を頂礼[ちょうらい]することには、無数の菩薩を供養するのと同じように、たいへんな功徳がある。
*本来は「敬意を表す相手の前に平伏し、頭を地面につけて、相手の足を礼拝する」という意味。
5. 観音は俗世界(「娑婆」)に現れるときに三十三のさまざまな姿で法を説く。説き方も姿に応じて十九種がある。
6. ただ一心に観世音菩薩を供養すべきである。
祖先祭祀をふまえた中国仏教の展開
1. 宗族制(親族関係)にもとづく社会と祖先祭祀(親族関係の宗教)
宗族制…(一般的定義)「中国において、共同の祖先から分かれ出た男系血統すべてを含む同族集団。
女系は排除される。
各宗族を区別する名称が姓である(角川世界史辞典)
王室から庶民まで中国のすべてを覆う社会集団。
(時代的変化をふまえた定義)…江村治樹「宗族」『角川世界史辞典』
宗族 そうぞく 中国において共同の祖先から分かれ出た男系血族すべてを含む同族集団。女系は排除される。同族、族人、族党も同じ実体。各宗族を区別する名称が姓である。古くは宗法に基づいた卿・大夫などの貴族の宗廟の祭祀を中心とする結合組織であったが、漢代以後、豪族や門閥貴族(姓族)の結合組織となった。宋代以後には、地主階層を中心に族譜、祠堂、共有地などを有する新しい宗族の再編が図られ、近代に至るまで中国社会を構成する要素として大きな意味を持った。
江村治樹「宗法」『角川世界史辞典』
中国古代、宗族を統轄するための制度。殷王朝において兄弟相続制の混乱を防ぐため出現した嫡長子相続制が周代に整備されたもの。周王朝では、嫡長子は代々王位を継いで大宗[たいそう](本家)となり、その兄弟は諸侯に封建されて小宗(分家)となった。諸侯の家でも、この大宗と小宗の関係は成立し、卿・大夫など貴族以上の家の宗族内秩序を規定した。王の子の弟の封建、君臣の分、喪服[そうふく]や廟数の規定、同姓不婚など周代の主要な制度は宗法と密接な関係がある。
(宗族について)『中国思想文化事典』
…ある宗族は共通祖先から数えて五世代目まで同族たるとを維持するが、六世代目になったときに分裂するだから宗族は代々分節化して支脈は別の集団を形成するのであってこれが小宗である。それに対し本家たる大宗は、それ自身から分出した小宗を永久に統括して一つの族集団群を維持するのであり、周族が各地に分封されるなかで全体として、また各封国内で団結するのを利するための制度だった。…西周時代〔〜前771〕の叙述においては、少なくとも支配階級に関するかぎり社会全体が宗族の基礎のうえに構成されており、王朝支配も宗族を通してなされたから、宗族を支える倫理は社会全体に通用する倫理でもあった。その中心が宗主の権威に対する恭順の倫理、すなわち孝である。…
聞くところによれば、ブッダは一時、舎衛国[インドのシュラーヴァスティーを首都とする国。コーシャラ国という。]にとどまり、目蓮[ブッダの十大弟子の一人]に六通の法を習得させた。目連は、自分を育ててくれた父母の恩に報いたいと思い、得た法力で世間を見渡したところ、亡母が餓鬼道に落ち、骨と皮になっているのが見えた。
目連は鉢に飯を盛って母に食べさせようとしたが、母が口に入れようとすると灰になって燃え、どうしても食べさせることができない。目連は悲嘆に暮れ、ブッダのもとに駆け戻った。
ブッダが言うには、母の罪は深く、目連一人の力ではどう救いようもない。しかし7月15日の安居あけの日、徳の高い十方衆僧にさまざまな料理と果物、壺や器、香油、燭台、臥具など、この世のすべての良きものを供え、信者が心を一つにして清浄な戒めを行い、祈るならば、その功徳によって現在の父母が健康なものは100年の寿命を得、七代の父母は天国に生まれ変わる。ブッダの弟子で親孝行なものは、心の中でいつも父母のことを思い、毎年7月15日には生んでくれた父母のことを思って、仏僧を厚く供養し、父母の恩に報いる。すべての弟子はこの方法を行うべきである。
目連は、喜んでブッダの言葉に従い、餓鬼道に落ちた母を救い出したという。
(『ブッダ:大いなる旅路』3、pp.123-124)
六通:6種類の超人的な能力。
(1)自他の前世における生存の状態を知る能力、
(2)世の中のすべてのことを見通す能力、
(3)煩悩をすべてなくして、再び迷いの世界に生まれないことをさとる能力、
(4)あらゆることをことごとく知る能力、
(5)他人の心の中にある善悪をことごとく知る能力、
(6)種々の奇跡を現しうる能力。
(岩本裕『日本佛教語辞典』平凡社,1988)
餓鬼道:善悪の業が因となって衆生が死後に生まれかわるとされる六種の境遇が六道で、下から地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上。餓鬼道はつねに飢えに苦しむ世界。
安居:インドの僧伽で雨季の間、行脚托鉢をやめて寺院の中で座禅修学するのを,安居または雨安居、夏安居といった。これは仏教が伝播した国々でも,雨季の有無にかかわらずおこなわれ,多くは4月15日から7月15日までの90日であった。(五来重「安居」『世界大百科事典』)
『仏説盂蘭盆経』はどのような道すじで、「すべてのものに執着するな」というブッダの教えと「宗族(親族)関係にひたすらこだわる」中国社会を結びつけたのだろうか。
4.5.3. チベット
北伝仏教に含める場合と、北伝とは区別して独立した3つめとする場合がある。後者の場合「金剛乗仏教」とも。
ボン教:仏教伝来以前のチベット固有の宗教の総称。シャマニズムの一種。 チベットでの仏教の展開
7世紀始めに、最初の統一王朝である古代チベット王国(吐蕃)が成立、チベットに仏教が伝えられた。
779年に僧伽が発足した。
9世紀、王家の分裂とともに仏教も一時衰退した。
10世紀以降、氏族と結びついた諸派が分立した。
11世紀、戒律復興運動が起こった。
11世紀中頃、サキャ派が成立した。
13世紀後半から14世紀前半にかけて、元朝の保護を受けたサキャ派がチベットを実質的に支配した。
14世紀にカルマ派(カギュ派から分派したもの)が法主を選ぶのに活仏を初めて採用した。
1409年、ゲルク派が成立した。
その後、サキャ派とカギュ派の分派が割拠した。
16世紀半ばに、ゲルク派が僧院の貫主として転生者を選んだ(のちのダライ・ラマ3世)。
1642年、ゲルク派がチベットを制覇し、ゲルク派の化身僧ダライ・ラマがチベットの最高権威者になった。
17世紀に、ダライ・ラマ5世の保護を受けて、ニンマ派が発展した。
チベット仏教の四大宗派
サキャ派:修行そのものが悟りを得ることを保証するという説を唱えた。
カギュ派:インド後期密教思想をアティシャの『菩提道灯論』と融合させたマハームドラーの教え[本来清浄な心の本質を観想するもの]を奉じる。
ニンマ派:9世紀にインドからチベットに渡来した密教行者パトマサンバヴァの教えを奉じる。インド密教に中国の禅宗、民間信仰などの多様な要素をあわせた教えを説く。
ゲルク派:ツォンカパの思想を奉じる。黄帽派とも。現在、規模が最も大きい。中観派の空思想と論理学を融合させて、論理的考察を重要視する。ダライ・ラマの属する派。
化身ラマ:「活仏」『岩波仏教辞典』第2版
仏や最高の境地に到達した菩薩は教化のためこの世界に化身を現す。
化身は世界の人々がすべて救済され尽くすまでこの世界に生まれ変わり、自分の平安を求めて涅槃に入ることがない。
チベットでは、優れた僧をそのような存在とみなし、その没後49日の間に懐胎され、誕生した者の間からその転生者を神託、夢占い、故人の言行を頼りに探し出し、幼童に故人の遺品を選び取らせて前世の記憶を確認したものとする。
転生者は故人の弟子などによって献身的教育を施され、しばしば大成した。
14世紀にカルマ派(カギュ派から分派したもの)が法主を選ぶのに活仏を初めて採用した。
16世紀半ばに、ゲルク派が僧院の貫主として転生者を選んだ(のちのダライ・ラマ3世)。
ダライ・ラマ14世:チベット動乱後にインドに亡命した。
ポタラ宮殿
https://youtu.be/baK3X5Oozh4
カトマンズ(ネパール)の寺院(チベット仏教)
https://youtu.be/Yge-2uR8j5g
参考文献:この回全体の参考文献
禁欲の推奨など
4.4. 南伝仏教
4.4.1. 南伝仏教とは
(「南伝仏教」『岩波仏教辞典』第2版)
上座仏教〔上座…「長老の教え」の意〕、小乗仏教〔小乗/ 大乗…「小乗」は大乗からの蔑称〕、南伝仏教
始まり:紀元前3世紀中頃にインドからスリランカに上座部系の一部派が伝わった。
スリランカから、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオスなどに伝わった。
特徴
礼拝する仏像は釈迦像のみ。
釈尊の遺骨などを祭る仏塔崇拝もさかんである。
フルセットの大蔵経を完備している。
出家専門家と在家信者が明確に区別されている。
出家は、厳しい戒律を守り、僧院で集団生活を送っている。
在家信者
出家の宗教的指導を受けつつ、僧院を経済的に支える。
在家者としての戒と教えを守っているが、出家者のように厳しい専門的修行はできない。
4.4.2. スリランカ
紀元前3世紀、スリランカに仏教伝来。
5世紀に、スリランカで上座仏教教学が確立された。
410年頃、スリランカ仏教、隆盛期を迎える。
11世紀頃、スリランカで僧院文化の絶頂期。
パラークラマバーフ1世(位1153〜86)
スリランカシンハラ王国の中興の英雄といわれる王。
サンガの清浄と統一→マハーヴィハーラ派が主導権。
4.4.3. 東南アジアの仏教
二つの大きな流れ(『岩波仏教辞典』第2版)
大乗仏教の伝播と衰微
南方上座部仏教の広がりと国家的維持発展
https://aseanpedia.asean.or.jp/wp-content/images/what/main_bg2.gif
東南アジアの大乗仏教
6世紀、扶南(現在のベトナムあたり)の最盛期。仏教も隆盛期。
7世紀、島嶼部のシュリーヴィジャヤ王国で密教系仏教が隆盛。
ジャワ島ではシャイレーンドラ朝(750-832)で密教が信奉された。
カンボジアのアンコール朝(802-1431?):12世紀から13世紀はじめにかけて最盛期。ヒンドゥー教と仏教がさかん。観音信仰など。
ベトナムでは、中国由来の禅や浄土系の大乗仏教が独自の発展を遂げた。
東南アジアの上座仏教
特徴:教団が王権と結びついて維持発展してきた。
ミャンマー(ビルマ)
11世紀、パガン朝
ビルマ初の統一王朝を築いた。
新しい建国理念として、それまであった密教系の仏教を排し、スリランカから上座部仏教を移入した。
パゴダ(仏塔)が重要な位置を占めている。
15世紀、国王の主導でサンガ統一。
18世紀、国王の主導で宗教会議。
(参考)森祖道「上座部仏教教団の相互支援と交流」『新アジア仏教史04 スリランカ・東南アジア 静と動の仏教』佼成出版社、2011年
さて、ミャンマーの歴史が仏教史も含めて明瞭となる、つまり有史時代に入るのは、11世紀のアノーラータ王(Anawrata, Anoaratha, Anuruddha, 在位1044〜77)の時代からである。かれは上ミャンマー、イラワジ河畔のパガン(Pagan)に都してパガン朝(1044〜1287)を興したビルマ族の英主であった。当時、かれの周辺に流行していた、戒律を守らず教義の乱れた密教的俗信的色彩の濃いアイージー(アリー)僧の仏教をアノーラータ王は否定して、より本来的な上座部仏教を採用せんとした。それに政治的意図も加わって、1057年に下ミャンマーのモン族の都、タトンを攻略して、彼の地に繁栄していた上座部のサンガをかれらのパーリ経典などとともにパガンに移した(一説には500人の比丘という)。そしてこの上座部を公認し外護したので、それ以後、ミャンマーの仏教は基本的に上座部一色となった。
https://youtu.be/SJwO7V_Y6LQ
タイ
1100年頃、タイの上座部仏教が栄える。
13世紀、スコータイ朝成立。
ビルマから独立したタイ人自身の国家が誕生。
新しい国家の理念として、上座部仏教を採用した(スリランカから)。
(参考)村上忠良「タイの仏教世界」(抜粋)『新アジア仏教史04』
13世紀にチャオプラヤー川流域に成立したタイ系民族の諸王国の宗教は、従来の精霊信仰に加え、クメール系のヒンドゥー教と仏教、モン系の仏教、上ビルマ・パガンの仏教、下ビルマ経由のスリランカ系の上座仏教など先住民族・隣接民族の宗教伝統から強く影響を受けて、複合的な性格をもっていたと考えられている(石井米雄「東南アジア仏教の民衆化―スコータイにおける仏教の受容をめぐって」木村尚三郎他編『中世の宗教と学問』学生社、1993年)。
13世紀末あるいは14世紀初頭よりタイ系民族の初期王国は、スリランカの上座仏教の保守派で、12世紀に国王主導の宗教改革でスリランカ上座仏教の正統派とされた大寺派(マハーヴィハーラ派)の仏教を受け入れる。
14世紀、アユタヤ朝成立。
上座仏教を国家理念の中心にすえた。
歴代国王の庇護のもとで上座仏教が栄えた。
1750年には、アユタヤ朝からスリランカへ仏教サンガ再興のために使節が派遣された。
18世紀末、国王の主導で仏典結集。
19世紀中期、国王の主導で教団改革運動。
カンボジア
13世紀
タイ人勢力に押され、アンコール朝は衰退していく。
それに呼応して上座部仏教がしだいに浸透し、13世紀末までに上座部仏教化。
16世紀
プノンペンには巨大な金色の仏塔がそびえていたといわれている。
ラオス
14世紀、ラオ人によりランサン王国が建てられた。
14世紀中期、カンボジア経由で上座仏教が迎え入れられた。
18世紀に3国に分裂した。
のちには、タイの支配を受けた。
19世紀末にフランスの植民地となった。
第二次世界大戦後独立。
https://youtu.be/CRdrTOaMP3w
4.5. 北伝仏教
4.5.1. 北伝仏教とは
(『岩波仏教辞典』第2版)
北インドからガンダーラを経て、中央アジア、中国に伝わり、中国からさらに朝鮮、日本、ベトナム、台湾などに伝播した仏教。
実際には、セイロン(スリランカ)、ジャワなどを経て、海路で中国に伝わった場合も少なくない。
マウリヤ王朝(インド)(紀元前317頃〜前180頃)のガンダーラ統治:
アショーカ王(在位前268〜前232):仏教に帰依。仏典結集など。
クシャーナ王朝期(1〜3世紀)
紀元前後に、大乗仏教の成立。
この王朝が中国と直接境を接するようになってから急速に中国への流入が進んだ。
体系化と歴史的展開
龍樹[コトバンク]:大乗仏教の思想を体系的に集大成した。 5~7世紀
如来蔵思想と唯識説を総合した「楞伽経」や「大乗起信論」
他方では龍樹の学統をつぐ中観派がさかえた。
8世紀以後、より民衆的・実際的仏教としての真言密教が発生した。
13世紀のイスラム教徒侵入などとともに、インドでは仏教が衰退した。
大乗仏教はチベットのラマ教(→ チベット仏教)、また中国や日本の大乗仏教諸派として、変容を重ねながら発展した。
なお、チベット、中国、朝鮮、日本などの北東アジアにつたえられた大乗仏教を北方仏教、北伝仏教ともよぶ。
4.5.2. 中国
時代区分と注目するできごと(『岩波仏教辞典』第2版)
1. 誕生・伝訳の時代:前漢―西晋(265-316)
1世紀頃、中国に仏教が伝来。当初はおおむね渡来人たちの宗教(蜂谷邦夫「仏教と道教・儒教の対立」『ブッダ』3)。
仏典の漢訳:2世紀のなかばから始まり、およそ8世紀ごろまで続く。
翻訳と選択
浄土教経典も、2世紀後半から中国に伝えられる。
2. 研究・建設の時代:東晋(317-420)—南北朝(5世紀中頃-589)
4世紀、東晋の時代から仏教が広く中国人にも理解され始める。
漢民族の国家である西晋の滅亡により、社会・個人の命運を解き明かす深遠な理論として。
「三世因果説」(根底には霊魂不滅の思想)、「空の思想」が中心。 格義仏教(西晋末—東晋)
「格義」(『岩波仏教辞典』):中国における仏教需要の初期段階に行われた教理解釈法。仏教伝来以前に、すでに独自の古典文化を完成させていた中国では、インド仏教の原典に即して直接その教理を理解するのではなく、漢訳仏典に全面的に依拠しつつ、思想類型の全く異なる中国古典との類比において仏教教理を理解しようとした。このような方法を特に〈格義〉といい、それに基づく仏教を〈格義仏教〉という。(後略)
「孝」を重んじる儒教との対立
儒教からすれば出家=親不孝
仏教側は、例えば「身内一人出家すると、家族・宗族にいいことがある」と説くなど、さまざまな説で中国社会との融合を図る。
鳩摩羅什(クマラジーヴァ)[コトバンク]350-409頃:中国南北時代初期の訳経僧 彼の活動によって、東アジア仏教の基本的な性格・方向が決まった。
三論(般若経の空の思想を論じた、龍樹の『中論』『十二門論』及び提婆の『百論』)を翻訳。
浄土教:「浄土教」『岩波仏教辞典』第2版
阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。
経緯
5世紀初め、慧遠が念仏結社である白蓮社を作り、のちに中国浄土教の祖とされた。
曇鸞(北魏)(476-542)が著述を行う。
つぎの時代の道綽(562-645)や善導(613-681)にかけて、称名念仏を中心とする浄土教が確立された。
3. 成熟・繁栄の時代:隋(581-618)—唐(618-907)
三論宗(隋代に成立):三論の教義にもとづく学派。般若経の空の思想に関する論が中心にある。
華厳宗(初唐代に成立):華厳経を最高・究極の経典とする。教主である毘盧遮那仏は、宇宙に遍満する光の仏として描かれている。
法相宗(唐代に成立):唯識の立場から諸法のあり方(=法相)を究明する。
唯識:あらゆる存在はただ〈識〉、すなわち〈心〉にすぎないとする見解(「唯識」『岩波仏教辞典』第2版)。
4. 継承・浸透の時代:五代—明
禅宗(唐—宋に成立)
禅
禅・禅定:インド古来の伝統的修行方法であるヨーガが仏教に取り入れられたもの。
仏教でも、その始まり以来、きわめて重要な位置づけを与えられている。
坐禅:禅定はもともと精神の状態を意味する言葉で身体の姿勢を規定するものではなかったが、最も安定した姿勢である結跏趺坐が修行に適しており、この姿勢が用いられることがほとんどだった。そこから「禅」(精神状態)と「坐」(身体の姿勢)が結びつけられて「坐禅」という言葉が用いられるようになった。
中国では禅宗の成立によって、インドとは全く異なる、新たな禅概念が形成された。
インド以来、禅定は精神統一という一つの修行方法を指すに過ぎなかったが、禅宗では、それに先立つ生活規範や、それによって得られる悟りも、それと一体のものと考えられるようになった。
このため、禅宗では「禅定」という言葉がほとんど用いられなくなり、単に「禅」と呼ばれるようになった。
この変化は、人々の関心の中心が、禅定の持つ神秘主義や超能力から、悟りをいかに現実に生かしてゆくかという点に向けられるようになったことも意味している。
禅は、やがて中国仏教の主流となった。
5. 融没・世俗化の時代:清—現代
中国仏教の基本的性格:「中国仏教は〈道〉の仏教である」(『岩波仏教辞典』)
初期の中国仏教は「自ら道家、儒家、ないし道教と類縁関係にある〈道〉の宗教であることを積極的に表明し、そこに生きる活路を見出そうとした…
仏教が中国社会に定着するにしたがって、「究極的には儒・道の二教(あるいはそのいずれか)と仏教は一致するという考え方を前提として、もっとも優れた〈道〉の宗教としての〈仏道〉の本格的な宣揚が開始される」
中国の〈仏道の〉…〈現実即真実〉の思想…「道は決して遠くにあるのではない。どこででも真理は体得される。聖人は遠く隔たった存在ではない。道が体得されれば聖人にほかならない」(僧肇〈そうじょう〉)
中国独自の仏教の展開
仏教学における儒教経典解釈学の全面的な導入
偽経(中国撰述経典)の出現:後世の研究者にとっては、難解な仏教教理に縁のない庶民が仏教に何を期待したかを具体的に研究する重要な手がかり
禅宗における清規(独自の教団規範)の成立と語録(祖師の言行録)の尊重、など。
特徴ある信仰の例:観音—救済・現世利益のシンボル
https://img-cdn.guide.travel.co.jp/article/416/20160505011344/76287B8CFA9E4F3B967724A6A14C0DFC_LL.jpg
大石石刻・千手観音菩薩(トラベルJPへのリンク)
(鎌田茂雄「観音はなぜ生まれたか」『ブッダ』3)
観音=観世音菩薩は慈悲の象徴。
「正法明如来」という高位の仏が、一切衆生の苦しみを救おうとして、他人を救おうとしながら修行を続ける「菩薩」にあえてランクを下げたもの。
観音の現世利益・功徳:『妙法蓮華経(法華経)』「普門品」(通称『観音経』)(鎌田『観音のきた道』参照)
1. 観音は七難を救済する。
七難:
火難…大火
水難…洪水
羅刹難…人肉を食う悪鬼に会う
刀杖難…刀などで人に害せられる
鬼難…欲が次々と芽生えることで起きる困難
枷鎖難…自由を拘束される刑罰に遭う
怨賊難…自分を害そうとする敵に遭う
2. 観音は三毒を消滅させて、煩悩をのぞく智恵をえることができる。
三毒
貪〈とん〉[むさぼり]
瞋〈じん〉[いかり]
痴〈ち〉[おろかさ]
3. 観音を礼拝供養する(身体をもって観音に帰依する)ことによって、二求(衆生の二つの欲求。普通は安楽と長命だが、ここでは男子と女子の両方の子宝を得ること)が満足される。
4. 観音の名号を頂礼[ちょうらい]することには、無数の菩薩を供養するのと同じように、たいへんな功徳がある。
*本来は「敬意を表す相手の前に平伏し、頭を地面につけて、相手の足を礼拝する」という意味。
5. 観音は俗世界(「娑婆」)に現れるときに三十三のさまざまな姿で法を説く。説き方も姿に応じて十九種がある。
6. ただ一心に観世音菩薩を供養すべきである。
祖先祭祀をふまえた中国仏教の展開
1. 宗族制(親族関係)にもとづく社会と祖先祭祀(親族関係の宗教)
宗族制…(一般的定義)「中国において、共同の祖先から分かれ出た男系血統すべてを含む同族集団。
女系は排除される。
各宗族を区別する名称が姓である(角川世界史辞典)
王室から庶民まで中国のすべてを覆う社会集団。
(時代的変化をふまえた定義)…江村治樹「宗族」『角川世界史辞典』
宗族 そうぞく 中国において共同の祖先から分かれ出た男系血族すべてを含む同族集団。女系は排除される。同族、族人、族党も同じ実体。各宗族を区別する名称が姓である。古くは宗法に基づいた卿・大夫などの貴族の宗廟の祭祀を中心とする結合組織であったが、漢代以後、豪族や門閥貴族(姓族)の結合組織となった。宋代以後には、地主階層を中心に族譜、祠堂、共有地などを有する新しい宗族の再編が図られ、近代に至るまで中国社会を構成する要素として大きな意味を持った。
江村治樹「宗法」『角川世界史辞典』
中国古代、宗族を統轄するための制度。殷王朝において兄弟相続制の混乱を防ぐため出現した嫡長子相続制が周代に整備されたもの。周王朝では、嫡長子は代々王位を継いで大宗[たいそう](本家)となり、その兄弟は諸侯に封建されて小宗(分家)となった。諸侯の家でも、この大宗と小宗の関係は成立し、卿・大夫など貴族以上の家の宗族内秩序を規定した。王の子の弟の封建、君臣の分、喪服[そうふく]や廟数の規定、同姓不婚など周代の主要な制度は宗法と密接な関係がある。
(宗族について)『中国思想文化事典』
…ある宗族は共通祖先から数えて五世代目まで同族たるとを維持するが、六世代目になったときに分裂するだから宗族は代々分節化して支脈は別の集団を形成するのであってこれが小宗である。それに対し本家たる大宗は、それ自身から分出した小宗を永久に統括して一つの族集団群を維持するのであり、周族が各地に分封されるなかで全体として、また各封国内で団結するのを利するための制度だった。…西周時代〔〜前771〕の叙述においては、少なくとも支配階級に関するかぎり社会全体が宗族の基礎のうえに構成されており、王朝支配も宗族を通してなされたから、宗族を支える倫理は社会全体に通用する倫理でもあった。その中心が宗主の権威に対する恭順の倫理、すなわち孝である。…
聞くところによれば、ブッダは一時、舎衛国[インドのシュラーヴァスティーを首都とする国。コーシャラ国という。]にとどまり、目蓮[ブッダの十大弟子の一人]に六通の法を習得させた。目連は、自分を育ててくれた父母の恩に報いたいと思い、得た法力で世間を見渡したところ、亡母が餓鬼道に落ち、骨と皮になっているのが見えた。
目連は鉢に飯を盛って母に食べさせようとしたが、母が口に入れようとすると灰になって燃え、どうしても食べさせることができない。目連は悲嘆に暮れ、ブッダのもとに駆け戻った。
ブッダが言うには、母の罪は深く、目連一人の力ではどう救いようもない。しかし7月15日の安居あけの日、徳の高い十方衆僧にさまざまな料理と果物、壺や器、香油、燭台、臥具など、この世のすべての良きものを供え、信者が心を一つにして清浄な戒めを行い、祈るならば、その功徳によって現在の父母が健康なものは100年の寿命を得、七代の父母は天国に生まれ変わる。ブッダの弟子で親孝行なものは、心の中でいつも父母のことを思い、毎年7月15日には生んでくれた父母のことを思って、仏僧を厚く供養し、父母の恩に報いる。すべての弟子はこの方法を行うべきである。
目連は、喜んでブッダの言葉に従い、餓鬼道に落ちた母を救い出したという。
(『ブッダ:大いなる旅路』3、pp.123-124)
六通:6種類の超人的な能力。
(1)自他の前世における生存の状態を知る能力、
(2)世の中のすべてのことを見通す能力、
(3)煩悩をすべてなくして、再び迷いの世界に生まれないことをさとる能力、
(4)あらゆることをことごとく知る能力、
(5)他人の心の中にある善悪をことごとく知る能力、
(6)種々の奇跡を現しうる能力。
(岩本裕『日本佛教語辞典』平凡社,1988)
餓鬼道:善悪の業が因となって衆生が死後に生まれかわるとされる六種の境遇が六道で、下から地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上。餓鬼道はつねに飢えに苦しむ世界。
安居:インドの僧伽で雨季の間、行脚托鉢をやめて寺院の中で座禅修学するのを,安居または雨安居、夏安居といった。これは仏教が伝播した国々でも,雨季の有無にかかわらずおこなわれ,多くは4月15日から7月15日までの90日であった。(五来重「安居」『世界大百科事典』)
『仏説盂蘭盆経』はどのような道すじで、「すべてのものに執着するな」というブッダの教えと「宗族(親族)関係にひたすらこだわる」中国社会を結びつけたのだろうか。
4.5.3. チベット
北伝仏教に含める場合と、北伝とは区別して独立した3つめとする場合がある。後者の場合「金剛乗仏教」とも。
ボン教:仏教伝来以前のチベット固有の宗教の総称。シャマニズムの一種。 チベットでの仏教の展開
7世紀始めに、最初の統一王朝である古代チベット王国(吐蕃)が成立、チベットに仏教が伝えられた。
779年に僧伽が発足した。
9世紀、王家の分裂とともに仏教も一時衰退した。
10世紀以降、氏族と結びついた諸派が分立した。
11世紀、戒律復興運動が起こった。
11世紀中頃、サキャ派が成立した。
13世紀後半から14世紀前半にかけて、元朝の保護を受けたサキャ派がチベットを実質的に支配した。
14世紀にカルマ派(カギュ派から分派したもの)が法主を選ぶのに活仏を初めて採用した。
1409年、ゲルク派が成立した。
その後、サキャ派とカギュ派の分派が割拠した。
16世紀半ばに、ゲルク派が僧院の貫主として転生者を選んだ(のちのダライ・ラマ3世)。
1642年、ゲルク派がチベットを制覇し、ゲルク派の化身僧ダライ・ラマがチベットの最高権威者になった。
17世紀に、ダライ・ラマ5世の保護を受けて、ニンマ派が発展した。
チベット仏教の四大宗派
サキャ派:修行そのものが悟りを得ることを保証するという説を唱えた。
カギュ派:インド後期密教思想をアティシャの『菩提道灯論』と融合させたマハームドラーの教え[本来清浄な心の本質を観想するもの]を奉じる。
ニンマ派:9世紀にインドからチベットに渡来した密教行者パトマサンバヴァの教えを奉じる。インド密教に中国の禅宗、民間信仰などの多様な要素をあわせた教えを説く。
ゲルク派:ツォンカパの思想を奉じる。黄帽派とも。現在、規模が最も大きい。中観派の空思想と論理学を融合させて、論理的考察を重要視する。ダライラマの属する派。
化身ラマ:「活仏」『岩波仏教辞典』第2版
仏や最高の境地に到達した菩薩は教化のためこの世界に化身を現す。
化身は世界の人々がすべて救済され尽くすまでこの世界に生まれ変わり、自分の平安を求めて涅槃に入ることがない。
チベットでは、優れた僧をそのような存在とみなし、その没後49日の間に懐胎され、誕生した者の間からその転生者を神託、夢占い、故人の言行を頼りに探し出し、幼童に故人の遺品を選び取らせて前世の記憶を確認したものとする。
転生者は故人の弟子などによって献身的教育を施され、しばしば大成した。
14世紀にカルマ派(カギュ派から分派したもの)が法主を選ぶのに活仏を初めて採用した。
16世紀半ばに、ゲルク派が僧院の貫主として転生者を選んだ(のちのダライ・ラマ3世)。
ダライ・ラマ14世:チベット動乱後にインドに亡命した。
ポタラ宮殿
https://youtu.be/baK3X5Oozh4
カトマンズ(ネパール)の寺院(チベット仏教)
https://youtu.be/Yge-2uR8j5g
参考文献:この回全体の参考文献